2014年10月15日

昭和の桃太郎

もろ小学校は六つの教室と、職員室があるだけの
小さい学校でした。紀元節、天長節、明治節など、
又、学芸会の様な催し物のあるときは、五〜六年の
二教室を使いました。或るとき、全校生が集まってい
る時、名前を呼ばれて、前へ出るように言われた。
軍服のような、カーキ色の服を着て腹をふくらませた
立派な体格の校長先生が教壇に立っていた。
とっさに何か頂けるのかと。私は校長先生の前で
深ぶかと頭をさげた。校長先生は賞状を読み上げると
小さい箱も一緒に渡してくれた。通信簿を貰う時の要領
で、丁寧におじぎして。其の後何かお話したけど、
それは健康優良児表彰でした。

家に帰って家族に見せた事は勿論。大喜びも当然でした。

健康優良児表彰、
部省推薦、朝日新聞社主催、とあり,記念品は
桃太郎の顔が、丸いアルミ板に彫刻されていた。
何よりこの桃太郎が嬉しくて、何度も出し入れして。
当時は戦争中で、物不足、こんなものでも、とても
嬉しくて自慢の一品で、今でも大事にとってあります。

CIMG0440.JPG

早く大きくなって、平成の桃太郎



posted by コトおばちゃん at 16:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月14日

幼き頃(其の十)

  床屋へ
母は、女の子の私と妹の髪の毛を自分できらず、床屋へ行かせた。
私一人の髪の毛は、下手でも、なんとか切ったけど、妹と二人になると
大変だったのでしょう。昔はハサミだって、和鋏で、前髪だって真っ直ぐ
に切れない。まして、後ろになるともっと難しい。女の子だから少しでも
格好良くしたかったのでしょう。道具のない時代でした。

母は五十銭をくれた。妹(五歳年下)と二人分の床屋賃三十銭。残りは
小遣いで、何を買ってもよかった。それが楽しみで、四キロもある遠い
道のりを、妹を連れて行ったのでした。近くに床屋などなかったから
私を連れて行ったことがある旧鹿沼のとこやさんで、
今の叶や洋品店のあたり。

当時、着物を着ていたご主人と奥さん。「二人できたの?」といって。
綺麗におかっぱ頭に。妹は後ろをそり上げてもらった。

お金を払って、残りの小遣いは、何にしようか。床屋の近くに、近京堂と
言うおもちゃやがあった。そこへ妹を連れていって、何買う?きいても、
妹はめったにオモチャヤへは、行った事ないから、きょろきょろしてるだけ。
ここは私の判断で、妹も好きそうな、ママゴトのお茶碗セットを。
小さくても、本物のように瀬戸物で出来ていて、かわいくて、これなら
妹も遊べるから買ってあげた。お釣りはなかったから、何も買わず、
真っ直ぐ家に直行。六歳位だったろうか妹は、良く歩けたと感心。

ねえやん、ねえやんと私のあとをついて歩いて、一緒に遊んで貰うのが
とても嬉しかったらしい。私の言う事はちゃんときいた。そして買ってきた
お茶道具でママゴトをして遊んでやると大喜び。妹はかわいかった。

畠から帰った母は「良く行ってきたな」とニコニコ顔して、妹の頭を
何度もなでなでして。
わたしも親にそむかず言う事きいて、親孝行の一幕でした。

CIMG0957.JPG

十九号台風もこの辺は難なくすぎました。ほっとしました。こんな
おいしい料理でも作って食べたいですね。先日孫が来たとき、
一丁へ行って食べてきました。あそこは、なんでも美味しかったですよ。



posted by コトおばちゃん at 17:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月13日

幼き頃(其の九)

今日十四日、孫達一家は帰り、無事着いたと連絡ありほっとする。
それも其のはず、台風十九号が四国に上陸、西日本に、再上陸と報じられ、
其の後、日本縦断とテレビで報じられていて、ビクビクの一〜二日です。


  おてんば
さて、学校帰りは、とかく、体もだるくて何事も無ければ、遊びながら、道草でも
食いながら帰りたいもの。「ミツイさんがアッチの方に洞門があるんだと」と、
くわしい事を言った。早速行ってみよう。悪乗りは早かった。
田んぼの向こう側に流れている小さい堀で、「中山溜」から流れ出て、下流の
水田に水を引くための流れだった。其の堀は下は赤土で固まり、ツルツル
すべる程きれい。草も刈り取られて入りやすく、四人とも、たちまち靴をぬいで
入ってしまった。「ああ冷たくていい気持ち」口々に歓声を上げた。

上流はトンネルになっていて、暗くて先が見えなかった。それでも
「コトちゃん先行けよ」「ウン」モトちゃん、ミツイさん、タキちゃんと続いて入った。
水の深さは足首まで。安心して先に行くと、真っ暗だった。
暗闇の中を少しずつ進む。怖い話などしながら。「デタあー」と先頭の私が
大声出すと、「キャー」とあわててバックして逃げ出す始末。
それが面白かった。何度も何度も繰り返して、今度こそ向こうまで行こうと
歌を歌いながら、「今はヤマナカ今はハマ」とトンネルの歌を大声で歌いながら。
また「キャーッ、オッカネエー」とバックして駆け出すと後ろの三人もきゃー。
急いで逃げ出して、「あータマゲタァー」口々に。ため息をつきながら。
何度もそんな事を繰り返しながら、遊んで帰った。楽しいワンパクでした。
今、思いだすと、そこはお墓の下で、カーブしていたので、暗かった。でも
其の先は土手で明るく安心だった。

「誰かに靴持って行かれたら大変だな」と誰かが心配して言った。

家に帰ってこんなことして来たなんて、一言も言えなかった。
思い出に残るスリル満点のオテンバ娘でした。

CIMG1307.JPG

「十五夜曇るとも、十三夜に曇りなし、」今年もいい月夜でした。







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posted by コトおばちゃん at 18:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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